墨成

編集後記(2019年9月)

▼書について語る光太郎はいつも熱い。それは彼が芸術に対して哲学と情熱を持っていたからに違いない。しかし「書だけ分かって他のものが分からないというのは分かり方が浅いに外なるまい」と言い切っていた彼が、最愛の妻の病を初期段階でどうして分からなかったのだろう。又、智恵子の病の原因は彼女の実家の破産であると言われているが、それだけが原因なのだろうか。

▼智恵子は光太郎の父・光雲からの援助資金を、上京してきた母と妹に光太郎に内緒で渡していたという事実を、最近知った。夫婦相思相愛の仲で自分達の生活さえ困窮していたであろうに。

▼又、彼女は女性解放運動を主導し平塚らいてうが発刊した「青鞜」の表紙絵を描き、らいてうの主義主張に賛同していた。主張とかけ離れている現実。自分の制作する油絵にも苦悩し葛藤を抱えていたという。

▼彼女は光太郎との繊細な感性と美意識を共有し、真善美を目指す理想を掲げながらも、食べる物さえ不足している現実との乖離に疲れ果てたに違いない。彼女らが目指していた女性の自立と封建的な家族制度との軋轢、追い打ちをかけるような厳しい現実が彼女を病に追い込んでしまったのかもしれない。

▼しかし、あれから約百年、豊かな現代にあって、私達はそれらを乗り越え、真に克ち得ているのだろうか。

(神原藍)