墨成

編集後記(2021年6月)

▼『特別展 顔真卿 王羲之を超えた名筆』と謳って東京博物館で展覧会が開かれたのは二〇一九年の一月。コロナ以前の書展として最大級で、中国の方々も子供を連れて来日し、東京博物館の入り口には長蛇の列ができました。展示された書はかつての日本の財閥が購入し、その後美術館が蔵していた法帖が主なものでしたが、現代の映像技術を駆使して立体化された顔真卿の書は迫力があり、中国大陸の文字そのものでした。

▼争坐位稿は刑部尚書在任中の当時五十六歳の顔真卿が、自分より遥かに位の高い官僚(尚書右僕射 郭英乂)に宛てた抗議文の草稿です。郭英乂が自分で勝手に従来のしきたりをかえてしまった事、しかもそれは権勢ある宦官(かんがん)魚朝恩に対してのご機嫌取りをするためにやったことであるが、それに対して顔真卿がやむにやまれぬ気持ちで抗議をした文です。書かずにはいられなかった顔真卿の筆は進むにつれて激しく鋭くなり、緩急自在の妙を尽くしています。

▼唐・玄宗時代の前半は、李白、杜甫などの『唐詩選』などで日本にもなじまれていますが、顔真卿の書に見られる豪放な力強さに満ちた時代。書の普遍的な美しさを法則化して楷書も完成されました。

▼当時日本は唐の政治や文化などは自立性を失わないように採り入れましたが、宦官などは排除しています。(神原藍)