墨成

編集後記(2023年11月)

▼書は現実の現象を普遍的なものに持ち上げてゆく作業だ。言語と言う具体的なモチーフを形と線で表現する。その観点のもと、昇段級試験での中学生の田中美月さんの「突破」には驚いた。迫力満点。線には力が漲り、半紙の域を超えている。

▼身体も心も日々成長する中で、矛盾を感じることがある。悔しい思いをすることもある。あらゆることに競争を強いられ、繊細な心を痛めた。けれども、これは自分で突き破る事だと美月さんは考えたのではないだろうか。

▼日々違う。違うべきだ。昨日と今日と明日が同じであってはならない。細胞は命ある限り再生しているのだから。プロとは何かとの問いに、自分の限界をつくらないことと語っていた作詞作曲家の言葉が浮かんだ。子どもと大人の時間の流れが違うのは、子どもは新しいことに感動しながら経験してゆくからだという。しかし、大人が子どもに勝るものは経験値なのではないだろうか。辛いこと、痛い思い、そうして喜怒哀楽を味わった。

▼書は言語という具体的な素材を用いて、それを線に表し得る仕事だ。躍動的に、或は静かに映し出す。若く、苦く、貧しい日を越えて、重厚な線を創りたい。貪(むさぼ)ることも、瞋(いか)ることも、癡(おろ)かしいことも糧として、線条に抽象化したい。鍛えれば書線はそれを叶えてくれると信じて。  (神原藍)